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 介護保険ってなにかな 


<介護保険てなんでできたん?>


昔は、「長男が家を継ぐ」という言葉がありました。
家父長制というやつです。
家や財産や土地などの家督を、長男がすべて継ぐ
そのかわり
年老いた親の面倒はもちろん、出戻りの姉妹子供のこと、障害のある兄弟や、性格素行に難がある親戚のとりなしなど
家全体の問題を、長男が中心となって、親族みんなの協力を促して面倒をみる
という家長権による家族員の統率をも、長男が相続していたようです。

長男が大事にされていたわけですね〜。
濃密なコミュニティの、強いリーダーシップを求められたのではないでしょうか。
だからこそ、お父さんは偉くて、また、子供がいない家には養子を迎えることが必要だったんですね。

終戦後の民法改正で、この家父長制が廃止されて、相続は分配。
相続が長男だけ優位にならない
財産が兄弟の間で相等に分けられるようになりました。

ならば
年老いた親や、親族の面倒とか
長男夫婦の大きな負担はおかしいよ
権利も義務もほかの兄弟と同等でしょ!てことになります。
家父長制の消滅により、責任の所在はあいまいになり、家を継ぐ意思の希薄化は、やむをえないです。

みなさんご存じ 昭和の経済成長による、農村部から都市部への人口流出はそれまでにも増して激しくなり
石炭から石油に国のエネルギー方針替え
炭鉱の廃止
集団就職
工業発展・住宅計画形成

貧しい生活を抜け出して、近代化を求めるのは自然なこと
核家族化はすすみ
生活用品の充実にともなって、だれもかれもが働いて、お金をどんどん稼いで豊かな生活を目指しました。

昔は仕事場と家の距離が近く、近所は、親戚や知り合いばかり
嫁いでない娘さんや、ほとんど家周辺に居る達者なおじいちゃんおばあちゃんなど、子育てや家事や介護の手伝いを担ってくれていた、濃密なコミュニティのマンパワーが、核家族化で、いっきに離散してしまったのです。

子育ても介護も、協力してくれる人がたくさん必要です。
大人が一人や二人で、お金を稼いで家事をして子育てをして介護をするなんて、背負いきれるものではありません。
そこで、高齢者の介護については2000年に介護保険が登場しました。

もう、家族や親せき、近隣の助け合いでは、おじいちゃんおばあちゃんの介護をできる状態ではない!
社会全体で、介護を担おう!みんなでお金を出し合おう!

という国全体が必要とした制度が、介護保険制度です。
(介護保険制度の導入はドイツが世界初です)


<介護保険のお金ってどこから出てるん?>


日本の介護保険制度に使われているお金は
国に納められた税金と、都道府県に納められた税金と、市町村に納められた税金と、私たち40歳以上の国民が死ぬまで納める介護保険料
という、4種類のお金から成り立っています。

国だけでなく、都道府県や市町村のお金も使っているんですね。

このことから、お年寄りが多くなり、介護保険サービスに必要な費用が多くなると・・・
ただでさえ縮小している市町村の財源を圧迫します。

介護保険の制度ができて20年

予想されていたにせよ、保険利用者は多くなり
世の不景気もあいまって

えらいこっちゃ!年を重ねても元気で、自立して生活してもらわなきゃ!

介護予防!健康の維持増進!地域支援事業!
介護報酬の増大とサービス提供の複雑化、必要資格の変遷・・・

ますます介護保険の制度は複雑化しています。




 

 介護保険サービスでできること 

介護保険

<介護保険を使ってなにができるん?>


まず市町村から「介護保険認定」をうけて、「介護保険者証」が交付された人が、使えるサービスは、大きく二つのカテゴリーがあります

ひとつは、介護施設への入所
もう一つは、自宅で受けるサービス

ディアー1は施設サービスは提供していないため
ここでは、自宅で使える介護保険サービスをご説明いたします。


 @住宅を安全に改修する
 A福祉用具を借りる
 B施設に行って食事をしたりお風呂に入ったり運動をする
 C訪問ヘルパーさんに来てもらう
 D訪問看護師さんに来てもらう
 E訪問リハビリをうける
 F医師に自宅で指導をうける
 G薬剤師に自宅で指導をうける
 H栄養士に自宅で指導をうける
 Iケアマネジャーに相談できる

現在、実質無料で使うことができるサービスは
Iのケアマネジャーに相談できる のみです。

ほかは、各サービスの金額の1割から3割の、自己負担が生じます

逆にいえば、安全で質の高いサービスを、実費の1割〜3割の金額で利用できるということです。
のこりの9割〜7割のお金を、本人に代わって介護保険財源から出しますよ、というのが介護保険のシステムです。

このシステムを利用できるのかどうか?!

そう、使えることと使えないことがあるのです!

つまり、@からHのサービスを、1割から3割の金額で、なんでもかんでも、誰でも使える、ということではないのです。

 あの人は使っているけど、私も使えるの?

この判断をする基準や決まり事が、本当にややこしくて、専門的な知識が必要です。

介護保険を利用するにあたり、適切なサービスの提案をする役割を担うのが「ケアマネジャー」と呼ばれる人たちです。

実は、介護保険サービスを使うのに、必ずしもケアマネジャーを利用しなければならない事はありません。

けれども、初めて介護保険を使いたいと思ったときには、「まずはケアマネジャーさんに聞いてください」と、役所でも介護の電話相談でも言われると思います。

介護保険は、社会全体で負担している制度であるために
その人に必要である、と客観的に認められたことのみ、使用できるのです。

必要な援助は個人個人の生活状況によって違います。
住宅環境、家族構成や家族の介護力、疾病や精神状況など、困っている状況と、その改善策は、多種多様で複合的です。

ときには、ケアマネジャーと話をするだけで、介護保険サービスを利用する必要はないことが分かった
という事もよくあります。

介護保険サービスの利用には、ケアマネジャーに相談することが最善の方法です。

もしそこから
自分や家族で利用するサービスを構築していきたい!という意思があれば
自分でも介護計画を作ることもできます。
「セルフプラン(自己作成の介護計画)」の作り方を調べたり、ケアマネジャーや役所に聞きながら自分自身の納得のいく介護計画で介護保険サービスを利用していくのも、とっても良いことだと思います。


介護施設へ入所するご希望のときにも、各施設にちゃんとケアマネジャーさんや相談員さんがおられますので、安心してください。




 

 家で最後まで 看取りのこと 


<いつまで家で暮らせるかに向き合う>



このホームページに来てくださりありがとうございます。
ご興味をもって読んでくださっている方に
自宅での看取りについて、腹をわってお伝えします。


個人的に、私は「自宅で最後まで看取ることは、可能です」とお伝えしたいです。

以下の文章には、忌み言葉が多発しますので、心の打たれ弱い方は、ご遠慮いただけると幸いです。


予測では、2039年
今から19年後に、日本では死亡者数のピークを迎えて、年間に、167万人のかたが亡くなる見通しです。


今後も20年近くは死亡者数の増加が見込まれるということですが、現在でも、ここ大阪では火葬場の順番待ちで、ひどいときには5日間待つようなお話も聞きます。「多死社会」などという言葉も目にします。


わたしは、日常の仕事の中で、お年寄りから、「自宅で死にたいが、家族に迷惑をかけるのは嫌だから、施設で・・」という話をよく聞きます。

施設ってどんなところ?いくらかかる?など、尋ねられることも多いです。

死を身近に感じていたほうが、より良く生きることができると言われています。
みなさんは、どこでどのように死を迎えたいですか。


じつは
自宅死の割合は、地方の方が少なく(大分・北海道・石川・秋田など、8〜9%)
都市部の方が多い(東京17%)傾向があります。

自宅でお亡くなりになられる方は、全体で、平均12.7%ほどです。(厚生労働省2017)


これは、高齢者だけの数字ではないですし、不審死なども含まれているかもしれませんので、実際には、「老衰で自宅で看取り、亡くなられた方」というのは、もっと割合が少ないでしょうか・・。



統計を取り始めた1951年、自宅死は82%を超えて、病院で亡くなる方は11%でした。(助産所含まず)

それが
2005年には、自宅死が12%、病院が82%と逆転しました。


歴史上、自宅で亡くなることが当たり前の価値観は、私たちの世代でついえたのでしょうか。

(ほかの国は、同2005年前後で、病院死オランダ30%未満、アメリカ40%代、韓国50%、フランス・オーストラリア60%未満などでした)

日本では1970年代の、老人医療完全無償化政策が10年続いたことが、病院死の拍車をかけたのではないかと言われています。

このあいだに、世界に類をみない、極度の「医療信仰」が日本に広くいきわたったのでしょう。
何かにつけ、病院が頼りになりました。


近年、介護保険の導入の効果か、病院死が少なくなりつつあるとも言われます。

自宅死は12%から13%に増加した統計はありますが、しかし、別の角度で見ると、高齢者施設の取り組みで、施設での死亡が9%に伸びており、また、死者数は年々増加しているので、実感としてはどうでしょうか。

まだまだ自宅での看取りのハードルは高いと感じます。



ディアー1に来て、わたし自身が関わったなかで、最後まで自宅におられ、自宅で亡くなられた方は数名いらっしゃいます。
少ない経験の中ではありますが、現場の実際から、なにか参考になればと思います。


数名の中で、いわゆる理想形の「ピンピンコロリ」と、元気ながらも突然に亡くなられた方は、おられませんでした。

病気の進行などで、寝たきりといいますか、どんどん弱られていき「下の世話」はもちろん、起き上がりも食事も、できなくなります。

わたしたち介護職はそのような姿も、仕事として、加齢による当たり前の姿と割り切ることができます。

しかし、本人はもちろん家族さんは、やはり元気なころの記憶が多くあり、そのようなお姿は、お辛いだろうと察します。

できていたことが目に見えて出来なくなり、死に向かう姿は、近しい関係であるほど、辛くなると思います。


在宅の看取りも可能です、と言える関門は、本人の強い「在宅希望」があることと、反対する家族が居ないことです。

どの時点で、施設や病院に行くかの判断は、本人や家族の「不安」が大きくかかわります。

老いにつれて、ある一定の介護量を超えたとき、それが一人暮らしであろうとも、本人の意思と家族の意向のすり合わせが重要になりますが、私の個人的な感覚として、本人の状態(ある時点でのあり様)というよりも、家族の状況(移り変わるその時々のあり様)を重視して、今後のことを提案させていただくことが多いです。


実際には、本人の介護度いかんよりも、本人や家族の不安・心配が大きい様子が見受けられた場合には、早めに介護施設の検討を念頭に入れておかれるようお話いたします。



つまり、忌憚なく申し上げると、身寄りのいない人か、本人の心配はしない豪胆さをもつ家族、関心がないくらい疎遠な家族、本人の希望を全面的に受け止められる器量の家族、(そして一番多いのが)なにを言っても、どこの誰の説得にも応じない本人の強い意志に負けて、好きにしたらいい、と譲って差し上げる家族さんでないと、在宅の看取りは困難です。



認知症や体の不自由の重度化、疾病の重さや、「トイレに行けなくなった」「夜中に寝ない」「食事がとれない」「話ができない・通じない」事に対して、周りが大きなショックを受けて、不安が大きくなることも多く、自宅ではもう無理だという気持ちになるのは、ごくごく当たり前です。


だからこそ、自宅で介護を継続するかどうかは、ほとんど「意思」によるところが大きいです。


自宅に居たい希望が強い人は、病院で死ぬことを是としません。

何度、救急車に運ばれ入院しても、自宅に戻る人は戻ります。
レスキュー隊・警察・救急隊を追い返すこともされます。
絶対に病院にはいかん!と言われ、痛みの中じっとこらえる方もいます。
(もちろん緊急時や、認知症状での対応は、本人の意思に沿えないことでも、判断して行います)



認知症で徘徊があり、警察に保護されたことがきっかけで、入所する・・・というのは一つのきっかけで見られることですが
本人の強い意志に、施設も家族もまいって、自宅に帰るしかなくなる事例も何度か経験があります。

転々と病院と施設の利用を繰り返すこともあります。

施設に入っても万全ではないのです。

迷い迷いながら、方向は都度変わることも、これまた当然です。


そのような中で、本人や家族さんと信頼関係を築き、亡くなるまで介護サービスを提供することもあります。

関わっている利用者さんや家族さんに、どうしても自宅で、と、執着ともいえる明確な意志や、自分らしくここで生きたいたいんだという切実な希望を訴えられると、介護する側は、老いてこそ、死と向き合ってこその、そのエネルギーに心打たれます。

介護職としてそれに応えたい、応えなくてどうするんや!と、事業所としてリスクを受容します。


任せていただいた責任の大きさに比例して、ヘルパーさんたちのやる気も高潮します。


ディアー1では、かつて、独居のかたに喀痰吸引の体制をととのえ、終末期は自費での泊まり込みを行い、医療と連携して無事看取りおえ、息を引き取られたあと、看護師さんにエンゼルケアをしてもらい、少しお化粧をして、衣服を着物に変え、お寺さんに来てもらい、通夜もそのまま自宅でされ、和やかに見送ることができた経験があります。




介護は、家族だけでは難しいです。

親の介護と自分の仕事の両立が難しくて、意を決して介護をするためにお仕事をお辞めになられても、介護に専念することは、向き不向きもあり、本当に困難なことです。

介護は、多くのひとが直面する問題です。

老いを目の当たりにし、身内の恥のように感じたり、無力感や罪悪感があらわになったり、親子の確執や人間性が浮き彫りになりまくりで、もうぐっちゃぐちゃで・・・オッケーです。総じてそうなります。

死に向かい、(あともうちょっとなのに)さんざん困ったことが起こるのです。


ひとりやふたりで抱え込まずに、どこでも相談してください。

どこでもいいのです。行きつけの喫茶店のマスターでも、誰でも。

話しやすい人に愚痴をこぼすことからでいいです。
ひとは、ひとにつながっています。

困っていることを自覚して、自分をねぎらい、起こしやすい行動から是非、とりかかられてください。













 



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